☆コンドウさんの神秘なお話 第三十九話☆

January 13, 2020

 

 今回のお話は「魂」です。このテーマは、「生」と「死」に並ぶ永遠の課題として、神秘なお話の中でも多角的視点で展開しています。時代に応じたそのあり方を知るキッカケになればと思っています。

 

 魂は不滅、大和魂、霊魂、魂の重さ、三つ子の魂百までなど、様々な場面で使用されていますが、魂の本質についてお話していきたいと思います。

 

 「魂」という漢字は、部首が「云」で、音読み「うん」、訓読み「いう、いわく」となります。

 

 出典「角川新字源 改訂版」によると、雲が巻いて上天にのぼる形にかたどり、「くも」の意を表し「雲」の原字となっています。旁が「鬼」で、音読み「き」、訓読み「おに」となりますが、そもそも、なぜ「鬼」という旁をこの漢字にあてたのでしょうか?ここには人間の正体を明らかにする秘密が隠されていそうです。

 

 仏教では「みな人の、心の奥の奥の院、探してみれば本尊は鬼」という唄がありますが、率直に、人間の心の奥には鬼を本尊として祀っていますよと言っています。「そんなバカな・・鬼なんて・・」と思う方もいるかもしれませんが、鬼は「遠仁」といい、「仁から遠い存在」と表し、即ち鬼なのです。動物的本能にも関係しており、これに支配されていると、感情は荒々しく、粗暴で凶暴、まさに鬼であり、支配された人々が引き起こす世の中の事件が物語っています。

 

 また、中国では、亡くなった人の「魂」を指しています。要するに、欲や貪り、怒り、愚痴といった「貪瞋痴」に支配された存在であるということです。お釈迦様は「大無量寿経」のなかで、「心は常に悪を想い、口は常に悪を言い、身は常に悪を行い、かつて一善も無し」と説き、聖書では目に見えるものを「バサール」といい、見えないものを「ネフェシュ」と呼び、サムエル記では「人の容姿」に対する「人の心」というように、肉体と魂の関係を重要視しています。さらに使徒パウロは、「私たちは目に見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます」と(ⅱコリント4:18)の中で語っており、似たようなことを、日曜日の9:00からフジテレビで放送中の「ゲゲゲの鬼太郎」のオープニングで「見えてる世界がすべてじゃない・・」と鬼太郎が言っていますね。

 

 一般的には架空の産物や物語として扱われることが多いと思いますが、鬼は実際にいるのです。魂を語るうえで、本田霊学を成立させた「本田親徳」の一霊四魂の概念は参考になります。この人物ですが、江戸時代後期の国学者であり、復古神道の大成者である平田篤胤の影響を受け、「鎮魂帰神法」(魂を鎮め、神降ろしをする法)をベースに本田霊学を世に広め、一霊四魂の概念を打ち立てました。この概念ですが、人間の霊魂は天と繋がる一霊であり、「直霊(土)」と四つの魂、「幸魂(木)」、「荒魂(火)」、「和魂(水)」、「寄魂(金)」から構成されています。

 

 実は、生き物に応じて「魂質」が違います。我々人類が社会の基盤としている三次元では、思考や感情という鬼の要素となるエネルギーにとらわれ過ぎてしまうと、「直霊は曲霊となりて四魂の働き邪悪となる」状態となります。雲のように風(真我)に流され、自由でいることが魂の本質の一つです。それが体感的に理解できると「云(運)」をコントロールできるようになります。

 

そして、肉体レベルから解き放たれたとき、そこは雪中鶴脚(雪の中にたたずむ鶴)であり、自分という存在をあからさまにされ、なんてちっぽけで孤独なんだろうと実感し、また、エゴや慢心が浮ぼりになり直観的に慈愛を知ることになるでしょう。

 

 生きることは決して楽ではありません。病気、仕事の過酷なノルマ、リストラの不安、夫婦間の不和、子どもの非行、返済不能な借金、親の介護など、「こんなにまでして、なぜ生きて行かないとならないのか・・」と思うことが周囲に満ちています。鬼と共存しながら、至高なる存在に与えられた叡智という武器を懐に、鬼との戦いを宿命づけられたのが人間です。光の王国への参入か、闇の勢力による支配なのか、今を生き、未来を創造していく力は我々に対して無限に働いています。さぁ、あなたの魂を覗いてください。

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