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☆第32話☆

御殿場ICから降りて、富士山が一望できる乙女峠を通過し、富士屋ホテル仙石ゴルフコースを右手に公時(金時)神社に到着しました。今回のお話は、数千億円以上といわれる徳川埋蔵金に関わる石見守の秘法、「大久保長安の黄金」について追及したいと思います。

 都市伝説では、日本人が、アメリカ大陸横断のための予選会として位置づけされた「東京箱根間往復大学駅伝競走」いわゆる「箱根駅伝」の第5~第6区間の小田原→箱根→芦ノ湖周辺に埋蔵金があり、駅伝を名目に国がそれを隠しているとか、戦時中の不発弾が埋まっているとか、戦争で亡くなった人達の遺骨が大量に埋められているなど、様々な噂が流れています。

 徳川埋蔵金で有名な、群馬県の赤城山はトレジャーハンターでなくとも知っている方はいると思いますが、TVでもさんざん取り上げられ、ウソか誠か、まだ大発見には至っていません。当時「ギミアブレイク」という番組で、徳川家康の黄金像が出てきて話題になりましたが、これも盗掘者への「おとり」であり、本穴に対し3つの罠を仕掛け、それ以上進ませないためのトリックでした。「良く守るには九地の下に隠れ、善く攻めるは九天の上より動け」と孫子も言うように、ここにもまた、奇門遁甲などが駆使されています。幕府に任された術者達は、まさに命がけの占術を仕掛けているのです。それを解読し、打ち破るのもトレジャーハンターの醍醐味なのかもしれません。

そもそも大久保長安とはいったい何者だったのでしょうか?

 実はこの人物、元は猿楽師(平安時代に成立した日本の伝統芸能で狂言師もその分類の一つ)でした。経理の才で武田家に引き立てられ、武田家滅亡後、徳川家康に見いだされ、相模小田原藩の初代藩主の大久保忠隣(ただちか)に仕え、この時から、大久保性を名乗り、1591年に佐渡金山や石見銀山の奉行・代官を兼任しました。信頼できそうな人物像が浮かびます。当時、発掘工事費や人件費等は本人負担であり、上納金は折半でした。そこで長安は最先端技術を諸外国から導入し、経費を浮かせることで大名や将軍をも凌ぐ財産を手にしていました。しかし、長安の死後、本多正信父子によって密告があり、生前の不正発覚のため家康は激怒、遺体は掘り返され磔にされ、子供7人、一族郎党30名以上が打ち首にされました。そして自宅からは「村正」とう名刀が100本と70万両の金銀、明(中国の歴代王朝の1つ)との密約書が出てきました。

なぜ長安はこのようなことをしていたのでしょう?

 推測ですが、豊臣政権を一掃しようとしていた家康が、京都より西に領地を構えた大名と親しい大久保家の動きに気づき、マークしていました。それから逃れるため画策していたかもしれません。

現在、埋蔵金のありかを示す有力な情報として・・

「箱根の仙石原から南へ数町行った富士山のよく見える場所で、黒い花の咲くツツジの根元」

という文書が残っており、仙石原は秋になると野原全体がススキの穂で覆われる観光地としても有名です。

 さて、仙石原のどこを中心にして見たのか?そこから南へ数町とは?黒ツツジとも解釈できそうですが、コンドウは「噴火」がキーワードではないかと考えます。知る限りですと、1644年の明滅亡に絡めた、わが国における大噴火はありません。しかし、1707年には富士山の「宝永大噴火」があります。この噴火で起きた「宝永大地震」は金山にも被害を与え、衰退の原因になりました。「黒い花の咲く」とあるので、黒い花の咲いている場所にある通常のツツジの根元とも解釈できます。ただ、仙石原から南へ数町とあるように、町をいくつか越えていった場所から富士山がよく見える場所に咲く「黒い花」とは火山灰を浴びた花とも解釈できます。

 神社には二つの意味があり、一般的な信仰対象と封印としての意味があり、地名に金がつく場所には「要石」としての要素が含まれています。もしかしたら見つけた人がいるのかもしれません。しかし、大本教の教主輔である出口王仁三郎は「箱根に埋蔵金は確かにあるが、関係者達の呪がかかっており、時期がきたら見つかる」と残しています。何やら二癖ありそうですが、進展があり次第、お話していきたいと思います。

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