☆コンドウさんの神秘なお話 第六十二話☆

 2020年12月22日、木星と土星が重なる天体現象がありました。

人々はグレートコンジャクションと呼び、大いなる「風の時代」への訪れを喜びました。「地の時代」に別れを告げ、200年に一度のサイクルで起こる木星と土星合一に突入したのです。

風の時代とは、その星の動きが示すように「流動性をもって真実となす」状況が顕著に現れ時代を象徴していきます。さらに特徴として、「受動から能動へ」「貯金から循環へ」「執着より開放へ」「縦社会から対等へ」「否定から肯定へ」「お金を貯めるより知識を貯める」などが挙げられます。


 さて今回のお話は、「風の時代」を生きていくために重要な「死に触れた意識」と「受け入れること」について書いていきますが、コンドウが富士の樹海で2泊3日の野宿をしたときに経験した話をします。

 日没後、辺りは透き通った静寂さに包まれます。月明りでさえ木々に遮られ、真夜中の樹海では目を開いていても閉じているような暗闇がどこまでも拡がり、平面なのか立体なのか距離感がまったくなくなります。

意識さえもどこにあるのかわからなくなり、その中で「自分という存在」を保とうと必死になりますが、どんなにあがいても何も変わらずその状況を受け入れるしかありません。やがて恐怖がやってきて、感覚がマヒしながら境界線がなくなり、すべてが自分と思える意識の広がりを感じます。響き渡る野犬の遠吠えや動物達の呼吸、草木から溢れ出すエネルギー、下界の騒音、自然の驚異が自分を浮彫りにし、いかに雑念に支配され執着的な考えに囚われているのかを思い知らされます。思考や感情はまったく役にたたず、感覚のみをただ受け入れることしかできなくなるのです。まさに肉体を失った魂むきだしの自分と向かい合って「死」というものに直面します。この時に気づかされた大事なことが2つあります。1つ目は「あるがままの自分を受け入れること」でした。自分を受け入れるということは、この状況を含め、強さも弱さも右も左も受け入れるということです。そして2つ目は「愚痴や執着の愚かさ」です。このような状況下では何気ない日常や人間関係がいかに大切だったのか痛感します。むしろ感謝や慈愛しか生まれず、自分の弱さを知ることになりました。

 また、「出雲国風土記」にある「猪目洞窟」の話ですが、「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故に俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」とあります。要約しますと「夢に猪目洞窟が出てきたらそれは黄泉への入り口であり必ず死にます」ということです。夢は万人が見ますが、夢はアストラル界(死後世界)と呼ばれ、星に通じています。これもまた「死はいつでも隣り合わせ」に存在しているということが読み取れます。

 生きている今という時間に囚われが生じているということは死の状態も囚われてしまうということを色濃く表し、やがて死は訪れ、その瞬間が生の集大成となるわけです。

どんなに幸せなように暮らしていても「死の瞬間」に未練があればそれは不幸な人生になってしまい、そこで全てが決まるといっても過言ではないのです。

人生を太極的視野で見ることができないとわびしいものになってしまいます。そのために死生観(死と向き合うこと)が重要になり浸透していくと人生に深みと重さが実感できます。日々の考え方や感情のバランスを整えるということは死に対する万全なる準備であり、囚われ執着の罠を見抜き、断ち切っていくことが幸せを引き込むでしょう。良いことをした人は天国へ行き、悪いことをした人は地獄行きという単純なことではありません。大いなる存在から離れた赤ちゃんは悲しくて泣いて生まれてきますが家族は喜びます。しかし死は周囲の悲しみを尻目に自分は歓喜に包まれます。グレートスピリッツの元に回帰することが幸せなのか頭では理解することができませんが魂は知っているのでしょう。


 さて、今宵も虫の唄を聞きながら清空に映える満月を我れと感じ、生と死のアプローチを追求していきたいと思います。

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