☆コンドウさんの神秘なお話 第五十四話☆

 「武士道とは死ぬことと見つけたり・・修羅道とは倒すことと見つけたり」・・ゲーム「サムライスピリット」のオープニングで覇王丸が言うセリフです。

 今回は、コンドウが触れてきた武道や武術、格闘技、戦闘術など「戦いの視点を通して生きていく」についてお話していきたいと思います。小学生から現在まで挙げますと剣道から始まり截拳道(ブルース・リーが創設したジークンドー)、中国武術洪家拳の五獣拳(通称 南拳)、銃剣道(通称バイオネット・ファイティングと呼ばれ明治時代フランスから伝来した銃剣術に日本の槍術と剣道を合わせ改良したもの)、徒手格闘(通称アナームド・コンバットと呼ばれルール無き戦場において相手を秒殺することを目的とした近接戦闘術)(アメリカ海兵隊ではクロスクォーター・コンバットとも呼ばれる)、短剣格闘(ナイフ術)日本拳法(澤山宗海が創設した古代ギリシャのパンクラチオン思想を基に組み立てた武道でボクシングや空手、柔術を取り入れた流派もある)、24式太極拳(楊式太極拳の主になる24の動作)、九鬼神伝流棒術(南北朝時代の薬師丸蔵人隆真が伝えた剣術や棒術、槍

術、薙刀術等を軸とした武術)円妙武玄流体術(野田龍玄 師匠

設の忍者体術)、そして現在は2004年3月に設立された「特殊作戦群」のもと、2008年沖縄にある市街地戦闘施設で米軍特殊部隊群(通称グリンベレー)と実践訓練を経て自衛隊にも取り入れられた新格闘技訓練に力を入れています。(通称であるゼロレンジ・コンバットの創始者は稲川義貴氏であり、現在も中央即応部隊や警察大学校の指導を行っています)


 文中に「武道」、「武術」と出てきますが、道を究めんとする過程が術であり、厳しい鍛錬により自らを律して正道を成すための精神性(死性観)の意味合いも色濃くなります。しかし一般的にはあまり分けられていません。大人気アニメ「鬼滅の刃」の作者である吾峠呼世晴さんもコミック中の端書きに「できること、使いこなすこと、究めることはそれぞれ違います」と載せています。「できる」ようになったら、それをどのような状況でも臨機応変に出せることが「使いこなす」ことであり、さらにその技を誰よりも速く強く、常に最大限に練り上げることが「究める」ことです。

格闘技と戦闘術の大きな違いはその「目的」です。道場やリングというルールの中で行う格闘技とは違い、突発的に戦場になる「戦闘術」は手段を選ばず「瞬間的に起きる有事への対処」により命を守る行動を重視しているということです。身構えて戦える状況なのか、いきなり攻撃されるのかにより心得が変わってきます。

使い手により素晴らしい技術を「不動心」にまで落とし込み、平常心を維持した状態で戦うことがでる者なら、どのような格闘技や戦闘術でも行き着く最終地点(境地)は同じです。

 しかしここでまたあの法則が顔を出してきます。類は友を呼ぶ「引き寄せの法則」です。

おかしなもので試合に備えトレーニングを重ねたり有事に備え訓練をしている意識が「修羅」という現象を引き寄せてきます。要するに潜在的意味を理解すると「戦いを望んでいる」ことになります。

顕在意識で「戦いは嫌だ」と考えていても、潜在意識がそれを望んでしまっているということです。自己防衛のため護身のためということに矛盾が生じてしまいます。

この意識をいかに昇華するかが重要になります。これをコントロールできないと痛い目に合うでしょう・・


 元陸上自衛隊 特殊作戦群初代群長である荒谷氏は「戦いの技術を教えることはできても戦いに臨むための精神(武士道)を養うのは難しい」と言っています。武士道は「東京裁判史観」により破壊された結果、個人主義や利己主義が横行しました。そして「いじめ」も増え、自分たちの立ち位置もあやふやになりました。

令和2年も終わりを告げようとしています。昔、龍玄師匠に言われた言葉を思い出します。「社会とは戦場だよ・・」その意味も深い領域で理解できる年齢になりました。先の見えないこの社会、現在コロナという脅威が人類を脅かしています。令和3年は丑が象徴する「疫病」との戦いが待っているのでしょうか・・。

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